彼女らに比べて、私は何が成長しただろうか
高橋みなみの卒業宣言AKB48劇場9周年特別記念公演スピーチ全文 | ORICON STYLE
2014年、AKB48にはたくさんの出来事が起きました。それは仲間との別れであり、グループとしての危機でした。そのすべてを乗り越えて、9年目をこの劇場で素晴らしい形で迎えられたのは皆さまのおかげだと思っています。
振り返れば2005年12月8日、私たちはこのステージに立っていました。正直、はじめの頃は「アキバ48」と言われ続け、一般的な知名度も上がらず、とても苦しい思いもしました。ですが、そんな時もこの劇場はここにあり続けてくれました。どんなにつらい時も、どんなに困難な時も、苦しくて立ち上がれなくなりそうな時もこの劇場に戻ってくれば、皆さんが笑顔で声援を送ってくれる。この場所は私たちにとってわが家です。
わが家には柱があります。この柱は正直、邪魔です。でも恒例になっている行事があります。1年に1度、劇場の誕生日にピンクのテープを貼っていくことになりました。いつかピンクのテープでいっぱいになってこの柱がなくなればいいなという思いを託しながら、結成1年目から続けている行事です。最初はそんなに意味のあるものではなかったかもしれません。ですがこうして9回目、皆さんとたくさんの仲間たちとテープを貼ることができたことがうれしいです。
来年はこの柱に10本目のテープが貼られることになります。AKB48、10周年です。振り返ってみれば、本当にあっという間だったなと感じることもありますし、ここまでの道のりは長かったなと感じることもあります。10周年、節目の一年だと思います。
ここで私から一つ発表させてください。私、高橋みなみは2015年12月8日をメドにAKB48を卒業します。まだ1年先の話です。ですが、私はAKB48グループの総監督です。メンバーに引き継ぐ時間、猶予をいただくためにこのタイミングでの発表とさせていただきました。
私はAKB48に入って本当によかったと思っています。仲間との別れもたくさんありました。同期も3人しかいません。周りの景色も変わってきました。同じ曲でもいないメンバーばかりで、私はなぜいるんだろうと思うことがなかったと言ったら嘘になります。それでもここにいてよかったなと思うのは、秋元(康)先生をはじめとするスタッフの皆さんと、ここにいる素晴らしいメンバー、そして何より、ファンの皆さんに出会えたことが私の人生の一番の宝です。
私がこのAKB48に恩返しできることは少しかもしれません。一握りかもしれません。それでも、AKBの未来をになう形を何か残したい、それが私にできる恩返しの一つの形だと思っています。私がいなくなってからのAKB48グループの総監督には横山由依を指名させてもらいました。正直、総監督はしんどいです。きついです。近くにいるメンバーは感じていると思います。だからこそ、仲の良い横山由依に総監督という名前を渡すのはとてもイヤでした。きついと知っていながら大切な後輩にこれを託さなければいけないのは本当に心苦しいです。私で終わらせようとも思っていました。ですが、AKBは女の子の大人数のグループです。話に花が咲いて、集中できなかったり、全然まとまらないときも多々あります。そんな時に一声、いくぞ、やるよと言葉をかける人がこのグループには必要だと思いました。
(横山を前に呼び寄せて)彼女は私にとって素晴らしい後輩です。本当に真面目で不器用で。でもすごく一生懸命頑張ってくれました。夢も私と同じでソロデビューでした。その彼女に総監督を渡すのは夢から遠ざけることになるかもと悩みました。でも、彼女にはキッカケが必要だと思っています。総監督は苦しいです。でも、それと同時に世間の方に見てもらえるチャンスが増えると思います。横山にとってもチャンスと思って頑張ってほしいと思っています。
(横山に向かって)なんか言ってよ~(笑)。頑張ってほしい。そのために1年間、バトンをつなげたいと思います。彼女に残せること、後輩に残せることはまだまだたくさんあります。正直、1年で教えてあげられるかわからないくらいあります。それでも、残された時間をみんなとともに頑張っていきたいと思います。
まだ、ちゃんと卒業の日にち、詳細は決まっていません。今後なんらかの形でみなさんにお知らせできればと思います。ただひとつ言えるのは、悲しいことではないということです。AKB48は来年10周年。大切な1年です。私もこのグループに10年いられたことがうれしいですし、10年で終わるグループではないと思っています。11年目につなげてほしい。大丈夫だと思っています。私なりに一生懸命、横山由依と残されたメンバーにバトンをつなぎたいと思いますので、これからもAKB48グループの応援をよろしくお願いします。
9分超の卒業発表スピーチ。
今朝、高橋みなみ卒業発表という1大イベントを取り上げなかったテレビ局はなかったのではないだろうか。
「もはや演説」といわれるほど完成度の高いものだったそうだ。
私がAKBという存在を知ったのは、今から4・5年前だっただろうか。
人気投票が行われて間もないころ、
その頃が私にとってのAKBブームが最高潮であった。
あの頃は、学校が終わるとすぐに家に帰り、録画したAKBが出演しているエムステや火曜曲なんかを片っ端から何度も何度も見ていた記憶がある。
父や母に「まーた得意のAKBか(笑)」と言われていたのを鮮明に覚えている。
それほどAKBに魅かれた。
可愛さもあった、確かにあった。
むしろそれが大半を占めいたかもしれない。
しかしそれだけじゃなかった。
私はきっと、彼女らの「夢を追いかけ続ける姿」に憧れていたのだと思う。
第一期生と呼ばれるAKB創設メンバーたち。
彼女らをみてそれに続く者たち。
笑い
喜び
苦悩
悲しみ
厳しさ
苦痛
感動
嘲笑
涙
ハプニング
声援
期待
別れ
彼女らしか知らない物語。
ドラマは、想いは、受け継がれていく。
私が生きてきた、いや、
生かされてきたこの20年間は
どんな20年間だっただろうか。
人に胸が張れる20年間だっただろうか。
時間をいたずらに浪費した20年間ではなかっただろうか。
彼女らのように、夢を追いかけ続けた20年間だっただろうか。
「人生80年」といわれるまでになったこの現代。
80年のうちの20年、4分の1が過ぎた。
反省は今日で終わり。
あと4分の3をどう生きるか。
若い時だけが人生じゃないだろう。
死ぬその瞬間に「いい人生だった」といえる人生こそが
私の望む人生である。
まだやれる
まだ頑張れる
死ぬその瞬間、笑って死ねるために
今、走り出そう。
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