批判は自分のためにやるべきこと
【よろしくやってんじゃねえよ理論】批判の9割は嫉妬。ー 本当の意味で自由に生きている人は、それを見ている人の心まで自由にする。 - いばや通信
極論、周囲から批判される人は「良い感じ」なのだ。事実はどうであれ、周囲の人はあなたに嫉妬しているからこそ、あなたを批判するのだ。誰もが自分が心からそうしたいと思うような人生を生きたいと思っていて、しかし、何らかの理由や制約があってそれを実行することができない。だからこそ、自由に生きている(風に見える)人を見ては(自由に生きれない自分を肯定するために)「あなたは間違っている」みたいなことを言いたくなってしまうのだろう。
これは嫉妬としての批判である例。
他人があなたの置かれている立場がうらやましくてうらやましくて、できるものならあなたと入れ替わりたい。しかし現実的にそれは不可能であるため、自分を守るために、うらやましいあなたのことを否定的にみる。
そういう批判もあると思う。
しかし私は、次のような批判もあることを皆さんに思い出していただきたい。
自分のための批判
「自分のための批判」とはどういうものなのか。
あなたは、本を読んだときに「ああ、なるほど!」とか「私もそう思います」という感情を抱いたことはないであろうか。
わかりやすくいうと、その本の筆者のことを好きになったことはないだろうか?
筆者のことを好きになる状況とはいったいなんだろうか。
それは、筆者とあなたの考えが「重なった」とき、ではないでしょうか。
ドラマや漫画の登場人物のことが好きになるのも、登場人物とあなたの気持ちが重なることで、好きになる。
その重なりの回数が多ければ多いほど、ますますその登場人物のことが好きになっていく。
なぜ好きになるか。
それは、登場人物もあなたも「もののみかた」が同じだからです。
たとえば、ヒーローものの漫画において、主人公がヒーローで、敵役にかいぶつAがいたとしましょう。
このかいぶつAは、「とにかく人間をぶっ倒したい」という衝動で動いているとします。
一方ヒーローは、「人間を守るためにかいぶつを倒したい」という衝動で動いているとします。
ヒーローとかいぶつA、それぞれ対象的な考え方を持つ登場人物がいた場合、
この時点であなたはどちらのこと(どちらの考え方)が好きになりましたか?
100人いて100人ともヒーローと答えるとは限らないと思います。
100人いて100人ともかいぶつAと答えるとは限らないと思います、ここまでならば。
この設定に、かいぶつAに「実はかいぶつAは、昔、それはそれは仲の良いたった一人の弟を人間に殺されており」という設定が加わるとどうでしょう。
「あ・・・かわいそう」と思いませんでした?
さらにこの設定に「実はこのかいぶつAは、無差別に人間をおそうのではなく、実はこれから殺人を犯そうとしている人間を見分けることが出来て、その人間だけを狙って倒していた」という設定が加わるとどうでしょう。
「あ・・・いいやつかも」と思いました?
話を戻します。
つまり人間は、「自分と考え方が似ている人間を、それがあたかも自分のことであるかのように感情を移入させる」生き物なのです。
ですから、その人にとって「この本の筆者の、こうこうこういう考え方が好きなんだ」と思いが固まってしまうと、いざそれを否定されたときに、その否定してきた人を拒むのです。
その否定が自分にとって感じが悪いという理由だけで、その否定してきた人の考えを否定してしまうと、物事に対する「もののみかた」の幅が狭くなります。
これは、損をしていることになります。
そこで、自分のための批判の出番なのです。
自分のための批判とは、
自分がこうだ!と思っている価値観に対して、自分自身で『あえて反論してみる』こと
をいいます。
相手に自分の価値観を反論されると、むかっときます。
それ以降相手の話を聞こうともしなくなります。
でも、それじゃあもったいない。
自分に見えなかった観点からものをいってくれる。
それは自分の持っている価値観を広げるチャンスなのです。
でも、いざ相手にそういわれるといい気持ちがしないのは事実です。
ですから、相手に言われるよりも先に、自分自身で批判してみるのです。
批判とは、そうあることで自分のためになるんじゃないでしょうか。
というつぶやきでした。